星見る囚人

楽しい世界にむけ脱獄進行中

FFに寄せる自分語り

6部が連載されていた当時、私はアイデンティティクライシスに陥っていた。
縋る相手としての親、仲の良い友達、甘やかしてくれる恋人、従順で親を慕う子ども、ストレス発散のサンドバッグ、金を稼ぐ道具…そういう役割を、周りの大人から絶えず要求されていた。生きていく術を持たなかった子どもの私には、幾度も幾度も自分を切り刻んでそれに応えるしかなかった。

そうしているうちに、「わたし」がいなくなってしまった。

今喋っているのは誰?この体はなんなんだ?頭にずっとモヤがかかってるみたいだ。声が遠くに聞こえる。今話しかけたのか?どの顔を用意すればいい?はい、これね。
そんな調子で、自分のことなのに他人を見てるような、そんな感覚だった。その感覚を感じているのが「わたし」であるかどうかすらわからなくなっていたと思う。


そんな中で、唯一の楽しみだったのが本だ。小説でも漫画でも、教科書や百科事典でさえ貪るように読んでいた。当時はその言葉を理解していなかったが、知的好奇心が刺激されることや思考することの楽しさを感じていた。だから好きだった。

でも、親はそういう私が許せなかったらしい。たぶん、私がかしこぶっていて生意気に感じて腹立たしかったんだろう。
あるとき、学校から帰ると、本棚ごと本がなくなっていた。疑問、怒り、悲しみ。いろんな感情が私のなかを一気に駆け巡った。本棚の跡が残る床に積まれている親の服や鞄が、「お前の知性などこんなものだ」とバカにして笑っているようにさえ感じた。半狂乱になって泣いて詰め寄ったが、当然まともに取り合ってもらえず、泣き止まないせいでうるさいと殴られるだけだった。
家を逃げ出して公園に落ち着いたとき、鞄のなかに先週のジャンプが入っているのを思い出した。「女の子が読むもんじゃない」と禁じられていたので、読み終わった友達にこっそり借りて読んでいたのだ。涙の跡もそのままに、夢中になって読んだ。それが「AWAKEN」だった。


「思い出こそが知性なんだ」。それを読んだ衝撃を表す言葉を、当時の私は持っていなかった。それでも、自分のなかの何かが肯定されたことだけはしっかりと感じ取れた。
そうだ。奪われ踏みにじられ、何もかも失くしたと思ったけど、今まで積み重ねてきた知識と知性は私のなかに確かに残っている。何もなくなっていない。これは私だけの「思い出」なんだ。これからもそれを積み重ねていけるし、その先に辿り着ける場所がある。それをFFが見せてくれた。


それに勇気をもらって、1週間を生き延びた。そして再び会ったFFが見せてくれたのは、「これがあたし」…まさに私が欲しかった結論だった。FFみたいに自分を見つけたい、そう感じるのが「私」。強制されるのでも演じているのでもない、ただひとりの「このわたし」なんだ。
そのときに、いなくなっていた「わたし」が戻ってきたのを感じた。まだまだ微かな感覚でしかなかったが、私は自分の魂の輪郭を自分でつくっていけるのだと信じることができた。いろんな役の私の真ん中にちゃんと「わたし」の席ができたのは、私のなかでは大きな目覚めだった。


「思い出」を重ねて、いつか確信をもって「これがあたし」と言える自分になること。最後の瞬間にも「さよならを言うあたし」でいること。それが私を導く灯台、黄泉の坂から私を呼び戻すベルになった。

「あたしをみて」「これがあたしの魂、あたしの『知性』」…そうだね、まだ歩ける、もう少しそっちへ行ってみるよ。そうやって今日この日まで歩いて来れた。

 

 

アイデンティティの課題は、おおよそ青年期に乗り越えるものだと言われている。あれから少しは大人になって、子どもたちと接する度にたしかにそうなのだろうと私も思う。あるいはそんなことに悩まないひともいるだろう。

だが、私にとってはおそらく一生の課題となる。離人感や彼岸への憧れは依然残っているし、完全に消すことなどもはや無理だとも思っている。

だけど、そういう思いを引きずりながら、それでも少しずつ『知性』を形作っていきたい。他の誰でもない、「このあたし」で。

幽波紋使いの精神分析【6部】

今回はジョジョの奇妙な冒険6部「ストーンオーシャン」に登場するキャラの精神を、スタンド能力から精神分析(妄想)してみようと思います。

 

なお、引用している画像は、主体となる私の文章に対して従として引用するものです。

 

 

スタンドとは

目に見えない能力を描き出そうとして生み出されたスタンドというシステム。ジョジョにおいて、「スタンドとは、精神が作り出すパワーあるヴィジョン」だと定義されています。 当然ながら、スタンドには本人の精神性が表れる…それは、「可視化された精神」ととらえられるのではないでしょうか。

スタンドの能力は、「まどかマギカ」の魔法少女としての能力と似ていると感じています。 まどマギでは、願ったことを象徴するような魔法能力を得ます。「怪我を直したい」と願えば治癒能力、「人を繋ぎとめたい」と願えば鎖の能力、「初めからやり直したい」と願えば時を戻す能力、といったように。

つまり、能力がそのひとの本質的な願いや考え方を象徴しているということ。これはジョジョのスタンドでも同じかなと思っています。

ジョジョ6部のキャラたちの精神分析

スタンド能力が象徴する精神。それを考えることで、彼女ら彼らの存在のリアリティを高め、もっともっと6部を楽しむことができるんじゃあないかと思います。

なお、「精神分析」とは言っても素人の妄想です。私は精神科医でも心理学者でもありません。素人の妄想であることを忘れないでください。必要な場合は注釈をつけて正確に伝えるよう心がけていますが、不適切な説明があればご指摘いただけると助かります。

空条徐倫の場合

徐倫には糸のスタンド「ストーンフリー」が発現しました。糸状態ではか細く弱いものの遠くまで届き、束ねれば強力なパワーを発揮するスタンドです。

徐倫が車の窃盗で勾留されたときに、別の家族に説明をする精神科医らしき人物が以下のように言う場面があります。

 

(『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン「父・空条承太郎 娘・空条徐倫」より引用)

「人を好きになろうと努力する」「愛情は人一倍強い」これが徐倫の精神を表した言葉であることは言うまでもありません。

糸が象徴するのは「他人との繋がり」であるように思えます。 (なんとなく「他人と繋がりたい」と思っていた花京院を彷彿とさせますよね。徐倫を承花の子と見なすような解釈がありますが、近い精神性という意味ではわからんでもないなと思います。)

徐倫の精神性の本質とは、「繋がり(絆や信頼感)が確かに感じるほどタフになる」と言えると解釈しました。FFの言葉を借りれば、「"良い思い出がたくさんある"ことで強くなる」という感じですね。
自らの身を削ってつくるスタンドという性質は、徐倫の他人に対する愛情深さの表れのように思います。自己犠牲的なヒロイズムも感じなくはないですが、「自分のことは自分で守る」というような当事者性の表れだと解釈しました。

承太郎の真意を実感をもって理解してからの彼女は、プッチと対峙し直接肉弾戦となっても「まずい!」と言わせるほどパワーで圧倒していました。それはやはり、経験値を積んだということに加えて、父親の愛を確かなものとして感じられるようになったからでしょう。

彼女がひとを信じて愛することを諦めずにいたことに、とてつもない強さと他人への愛を感じます。

 

エルメェス・コステロの場合

エルメェスのスタンド「キッス」で考えれば、その能力は「解離と統合」によく似ていると感じます。

参考:解離症状について

解離性同一症 / 解離性同一性障害 | e-ヘルスネット(厚生労働省)

人格統合について

解離性同一性障害の症状と治療相談

 

シールを貼ったものを2つに増やし、シールを剥がすと破壊を伴いながらもとの1つに戻る。増える過程が解離、シールを剥がすことは統合、というイメージです。戻る際に(心的)ダメージを受けるという点も人格統合においてはよく見られる現象と言われています。

(『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン「愛と復讐のキッス その②」より引用)

彼女の精神は、姉が亡くなったときに(軽度ではあるでしょうが)本来の人格と無感情あるいは怒りを主体とする人格とに解離し、スタンド能力を得たことによって統合が可能となったのだと私は解釈しました。
復讐を果たすまでのエルメェスは、離人症的な感覚があったのではないかと思います。初犯ではないとは言え、強盗で重刑務所行きになるということは、かなりの犯行をはたらいたということ。その時のエルメェスの心境はどんなものだったのでしょう。復讐のためならと躊躇うことはなかっただろうと思うのですが、その躊躇いのなさは、「他人を観察しているような(自分のことではないような)感覚」だったからできたことかもしれないなとも思うのです。

統合可能になったのなら、能力が消えてもおかしくありません。しかしそうならなかったのは、完全に一つの人格として統合されたのではなく、解離した人格ともとの人格とが共生関係になったからなのかなと思っています。
だから能力が消えることもなく、かと言って復讐を目指していた頃のように徐倫と距離を取ろうとするでもない、健全な精神状態が保たれるようになったのではないか、と。

それだけの傷を抱えていたエルメェスが最後までついてきてくれたこと、本当に尊敬します。

 

エルメェスの復讐ついてはこちらの記事でさらに詳しく感想書いてます。

www.prisoner-lookinstars.com

 

ナルシソ・アナスイの場合

「内側に入ってバラバラにする」という能力であるダイバー・ダウン。これが象徴するのは、アナスイの「他人を理解したいという欲求」だと考えます。
幼い頃、機械を分解したのは「中身がどうなっているのか知りたかったから」。機械の場合は分解するという方法で、知りたいという欲求を満たすことができます。そうやって成功体験を積んできたわけです。そして、人間も同じようにすれば理解できると考えたのでしょう。「人間も内側から中身を見れば、きっと理解できるだろう」と。

恋人の浮気現場に遭遇して犯行に及んだ動機として、「ふたりが二度とくっつかないように」と説明されていましたが、その時に「なんでこんなことをするんだ、理解できない、なぜだ」とも思ったはずです。それを知るためにバラバラにした。
そして、おそらく、アナスイは能力が発現してもなお、他人を理解できなかった(共感して納得することができなかった)と思われます。しかし、それはアナスイの精神が異常ということではなく、そういうパーソナリティだと考えて良いでしょう。実際、精神鑑定でも正常でした。

 (『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン「その名はアナスイ」より引用)

また、緑色の赤ん坊の処遇を巡って争ったとき、FFに対して侮辱的な発言をしていますが、これは彼のコンプレックスを刺激したからです。
「たかがプランクトン(分解によって容易に理解可能と予測される存在)」であるFFが、ハグの意味や文脈を理解していたり徐倫と同意見な様子だったりすることは、「理解できない」アナスイにとっては非常に癇に障ることであるはず。だからそのあてつけに、緑色の赤ん坊を指してわざと侮蔑的な言葉を使ったのだと思います。
「そりゃあたしのことか?」とFFが聞いてますが、もちろん、そうです。そしてそれをFFが理解しているのがまたさらに腹立たしいから「うるさい!」としか言い返せないのです。

徐倫の集中力に惹かれた、という描写がありますが、徐倫に共感していたわけではないのでは、と思います。ただ、徐倫の精神は共感できないけれどその言動に惹かれるものがあったということなのだろうと推測します。
アナスイにとって、「分解して理解できる(人間に対しては一度も成功していない)」ことよりも「わからないけど惹かれる(今確かに魅力を感じている)」ことのほうが実感として信じられる、ということでしょうね。 そういうパーソナリティを持つ人物の「共感はできないけれど愛している」は非常に真実味があって、個人的に信頼度高めの愛だと感じます。

徐倫たちと過ごしていくなかで、アナスイの反社会的とも言える倫理観がかなり緩和されているように見えます。それは、ダイバー・ダウンを介して手っ取り早く相手を知るのではなく、徐倫たちの言動に繰り返し接することで尊重を覚えたからだと私は解釈しました。緑色の赤ちゃんの処遇の了解や結婚の許しを請うところはそれがよく表れているところです。
徐倫に出会う前のアナスイなら、そんなことは思いつきもしなかったんじゃあないでしょうか。

 

エンリコ・プッチの場合

ほとんど自立型スタンドのように見えるホワイトスネイクですが、「わたしに向かって得意顔に」などの言動にプッチの性格が表れていると感じます。
「わたしを押し上げろ」「おまえごときうすっぺらな藁の家」など、聖職者として人々を幸せに導く立場でありながら、内心では他人を下に見ているのがよくわかります。

他人の魂を奪って永久に保存でき、他人に与えることもできる能力。それは、「他人をわかろうとする努力なしに相手の心の内を手に入れたい」ということと、「神が慈悲や試練をひとに与えるがごとく、運命をコントロールしたい」という精神の表れだと私は解釈しました。運命をコントロールしたいという願いがあったために、メイド・イン・ヘブンの発現にも至ったのだろうと思います。
この二つは、プッチ自身のセリフやWSの言葉の随所に表れていました。 FFに対して「知性と能力を与えてやったのはこの私だ!」と言っているところなんかは、まさに「神のごとき」振る舞いだと思います。
なお、プッチの言う「知性」とFFの言う「知性」はこのとき意味が異なっているので、「知性」を「与えてやった」とは言えないと思っていますが、これはまた別の記事でまとめる予定です。

緑色の赤ちゃんについての言及では、「私のものになった」「手に入れる」といった言葉を繰り返し使っています。ここに、DIOに対するプッチの本音が見えるような気がするのです。
赤ちゃん=DIOではないですが、プッチは赤ちゃんを見て「DIO、君を目覚めさせ」と言っていることから、彼本人はほとんど同一視しているように思います。
プッチがDIOに友情を感じていたのは本当だとは思いますが、同時にDIOを「手に入れたい」と思ってもいたんだろうと解釈していました。能力が欲しかったわけではなく、それこそ、神のようなDIOに「自分のことを『神のように愛して』ほしかった」と言ってもいいかもしれません

プッチにはそういう、他者に自己投影するところが垣間見えます。
妹の死に際して、プッチは「呪われるべきは私だ」と言っていました。ウェザーと対峙したときには「お前は生まれた時から呪われていた」と言っています。呪われていると感じているのはプッチ自身です。

(『ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャン「ヘビー・ウェザーその⑪」)

プッチは、相手の中に常に自分を見ている。他者のことをちゃんと見ようとしてないとも言えます。
そういう自分とちゃんと向き合っていれば、より強固な信念をもって「覚悟」が決まっただろうし、あるいはエンポリオに負けることはなかったかもしれないとさえ思います。

 

その人の本質が表れるスタンド

出典を忘れてしまったのでさだかではないのですが、荒木先生はキャラをつくるときにスタンドから考えると仰っていたと思います。それは単にデザイン性や感覚的なものなのかもしれませんが、「スタンド(精神)こそがその人の本質、核となる部分である」からそのようにキャラを作り込んでいくのかなと私は解釈しました。

 

今回は6部の一部の人物だけを考えてみましたが、他の人物や部でもこの考え方でそのひとの精神を読み解いてみるとおもしろいでしょうね。気が向いたら書くかもしれません。
今回はこのへんで。

 

to be continued➛

【ジョジョ金沢展】旅ログ:黄金の旅

今回は、金沢展に行ってきたのでログとして残したものをお届けします。

展示内容の詳しいネタバレはないようにしますが、一部内容には触れているのでご注意ください。

 

前夜

夜、車で出発。行く先はもちろん金沢!

ということで今回の旅のテーマは「黄金」ということにしました。

 

車中は5部『黄金の風』を流しつつ、真夜中に金沢到着。ホテルのTVつけてすぐジョジョCMが!そりゃあ宣伝すんのが当たり前ではあるんだけど、実際目にすると嬉しいものよ。キャホー!ラッキー!

わくわくして全然寝れなくて、引き続き5部を視聴。レクイエム前に寝落ち。最終話に辿り着くことは永遠にない……。

 

朝!

今回の旅の個人的なテーマである「黄金」に寄せて、メイクやネイルも金が映える感じにしました。(失敗したとこを金で誤魔化してるだけなのはジョジョにも言えん秘密よ…)

 

金箔の箔一(はくいち)

「黄金」のテーマに相応しく、まずは箔一さんへ。

箔一本店

本店に行きました。

入口入ったところから、例のハンドミラーが!すっごいゴージャス。これが原作絵だったら即買いだった…。

箔一ジョジョコラボハンドミラー

お店の方々わりとぐいぐい来られるタイプで、ジョジョの話も振ってくれてノリの良さA。

 

金箔ソフトも食べました。

ラッキーボーイだぜッ!

ジョルノ金箔ソフト

 

ミュージアムも圧巻。アートギャラリーはとても優美で見応えグンバツでした。屏風や蒔絵も美しくて神々しいほど。

流水紋を背に立つ承太郎かっこよすぎでは……。

箔一の承太郎パネル


運命の流れを感じて、エモです。

 

地下の歴史ギャラリーでは絢爛な甲冑とジョナサン&ジョセフが。あと金箔の製造工程とか金沢の工芸文化とかについても知ることができ、知識としても楽しい黄金体験でした。

 

昼食は近江一番が激混みだったので中央市場で。

 

兼六園店にも行ってみました。

箔一兼六園店

昼過ぎだからということもあってか、金箔ソフト待ちの大行列。早めの時間に行っておいて正解だったかも。

店内は狭めで、パネルはお店の入口のジョルノのみ。幟旗はいろんな種類出しててくれてました。

 

そして行くぞ、会場へ!

 

ジョジョ展金沢

ジョジョ展金沢21世紀美術館

チケットに書かれてる整理番号順で呼ばれるので、入場スタート時間ギリに来るほうが近隣のご迷惑にならずに良いと思います。

それでも人が多い日程はかなり待つことになるので、入場~グッズ買って出るまでに3、4時間くらいはかかる見込みで予定立てとくのが吉。

 

21世紀美術館のギャラリーAはちょっとこじんまりとした会場ではあるけど、これまでの原画展のエッセンスを伝えたいという意図は感じた。大切なのは向かおうとする意志だ。

ちなみに、ギャラリーBのほうの展示もおもしろいものをよくやってるし、空間芸術なんかはアート詳しくなくても楽しめると思います。建築も美しく、遊び心を感じます。

 

じっくり絵を見たり空間を味わいたいならイヤホン持参がおすすめ。

音声ガイドは機械から直接聞くのでイヤホン差せないけど、私は周りの方の話し声とか気になっちゃうし、絵と向かい合って浸りたいタイプなので持ってきとけば良かったなと。

 

やっぱり何回見ても原画にはパワーがある…。しかも大きなサイズで目の当たりにすると、そのパワーを浴びるように感じた。

8部が完結したことで、8部絵も増えていて主人公とラスボスとの対比が完成されて、そういう美しさもあったなぁ。

 

ただ、連休中で入場時間がかなり押してたので、最後らへんはかなり急かされながら慌てて出ることになってしまったのだけが残念でした…。16時入り予定だったのに約1時間遅れで案内され、「あと30分で展示も物販も終了です」と言われ、物販に行くには展示をろくに見ずに出るしかない、って感じで。

まあ、そんな日程のチケット取った時点でそういうリスクを覚悟しておかなくっちゃあいけなかったと言われればそれまでですが…。

物販会場に行ったら行ったで、長蛇の列。「前に詰めてください」という案内で鮨詰め状態でした。グッズも品切れ続出で…あんまりだァ…泣

 

ともあれ、なんとか最低限欲しかったグッズのいくつかをゲットして離脱。

物販会場のパネル展示が、暗くなったことでさらに美しく照らし出されて感動でした…!

ジョジョ展金沢グッズ会場パネル

徐倫推しとして、「グッチで飛ぶ」の絵をこの大きさで見ることができたのは本当に幸運だった…。ルーベンスのために雪の中を歩いてきたネロのように、言葉をなくして倒れ込んでしまいたかった。

 

いつまでもここにいたいところだけど、後ろ髪引かれつつ撤収。

 

OWSON(オーソン)

金沢駅の近くにホテルを取ってたので、一度グッズを置いてからオーソンに行ってみることに。

 

思った以上にお店の外観、全面ジョジョ推し!!!

何気にオーソンを見れたのは初だったので嬉しい。

ちなみにグッズはほぼ売り切れてました。

店内は、グッズの他はお土産とか通常のコンビニのラインナップとほぼ変わらない感じ。

 

外看板が置いてあるところが小道ぽくてベネ!

オーソン金沢



夜、お店が思いの外早く閉まっちゃったので軽めのごはんを買ってホテルへ戻って2時間眠った…そして目を覚ましてからしばらくして…ジョジョ展がもう見れないことを思い出し…泣いた……。

 

ジョジョワールド金沢フォーラス

翌朝。

低血圧ぽい喋り方を気にするより時間の方を気にするべきだった。マジに焦った。ギリギリだった。間に合ったのは全くの幸運だった。

チェックアウトの時間を5分も遅れ、会場である6Fに着いたのは開始時刻の3分前。着いた場所がレストランばかりで、ジョジョの気配を全く感じない。本当にここなのか?フロアを間違えた?いや、そもそも建物自体を間違えた可能性も…もうだめか?…ここまでか……

諦めかけたそのとき、角を曲がった先ッ!

確かにそれはあったッ、確実にッ!

ジョジョワールド金沢

やった、勝った!第3部完!

(なんとか入れました)

 

チケットのチェックを受けたら、中でアトラクションごとに回数券を買って、それぞれのブースに向かう感じでした。

各アトラクションのゲーム内容と参加特典はこちらで確認できます。

JOJO WORLD

 

私が一番に向かうのはもちろん6部ブースの「ストーンフリー糸くじ」。

(アニメ放送あったばかりなのにこんな端っこで…暇だからヘソにピアス開けちゃいそう…)

A賞は無理だったけど、缶バッチとステッカーはバランス良くゲット。

 

他にもいろいろあって、メメタァとかエジプトへの旅とかもやりました。A賞はどれも出なかった。現実は非情。

でもタロット風ステッカーは嬉しかったな。デザインすごくいいッ!

 

こちらの物販は潤沢な様子。一部売り切れもあったけど、ほとんど十分な数が用意されてる。(なお、5月12日現在は売り切れ続出の模様…)

ブランケットタオルめちゃいいけど飾れるほど広い家を用意しないと無理だ…。スカーフはオタクが好きな概念グッズぽくて、これには承太郎もニッコリ(のはず)。撮影ブースも雰囲気あってベリッシモ!

アニメから入ったジョジョラーなら、めちゃくちゃ楽しい空間だと思います。

 

ジョジョワールド金沢6部パネルはブース正面にどどんと並んでて、心に来るものがありました。6部連載当時からジョジョにハマり出した私としては、あの酷評されてた時代からこんな日が来るなんて…と思わずにはいられません。

秋冬に配信、放送される6部アニメの続き、待ってます…続き、ください…ボス(NETFLIX)…

 

続々と来るジョジョラーたち…にぎやかしは、必要ねぇみてぇだな…クールに去るぜ。

 

ここに辿り着いたこと、それが完全なる勝利なんだ

ジョジョワの後は、尾山神社と金沢城、兼六園も回った。

車での旅で帰りがキツそうなので早めに撤収。もちろん帰りしなも5部を流しつつ帰ってきました。

 

仕事との兼ね合いで日程的にもきつい旅だったし、いろいろあったが、荒木先生の黄金のような絵のパワーに触れられて良かった。楽しかった。

ここ金沢に来て、原画を見ることができた。それが完全なる勝利なんだ。

荒木先生、ありがとうございます。ありがとうございます、金沢の皆様。

 

こんなネットの端では、誰の役にも立たないかもしれない。それでも、受け取ったものは先に進めなくてはならない。この記事は削除しない。

それが行ってきた者の役目だ……

 

私の苦難が、どこかの誰かに希望として伝わっていく、何か大いなる意味のある始まりかもしれない

あなたが "眠れる奴隷" であることを祈ろう

 

to be continued➛

【未読さん向け】ジョジョ6部の見所をネタバレなしで紹介!

 

『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズも、いよいよ6部のアニメが2021年12月1日(Netflix)に配信開始、地上波は1月7日に放送開始しました!第二章も配信開始してます!TV放送は10月からです。

というわけで、今回はアニメ勢、6部未読というあなたに、6部の魅力を「これもこれもこれもーッ!」って感じにお届けします。

6部好き増えろ〜〜〜!!

 

 

ジョジョ第6部『ストーンオーシャン』とは

6部のタイトル「ストーンオーシャン」は、石の海…つまり「牢獄」を表しています。

牢獄から脱出しつつ、黒幕を探して敵と戦っていく、というストーリーです。

jojo-portal.com

まずは、6部のあらすじと主要キャラをご紹介!

 

あらすじ

 

2011年、アメリカ。

19歳の空条徐倫は、ドライブ中に人身事故を起こした彼氏に協力してしまう。彼氏とともに被害者を放置した罪に問われた徐倫は、悪徳弁護士によって重警備刑務所へと投獄されることに…。

しかし、この判決は徐倫の父・空条承太郎をおびき寄せるための罠だった。承太郎は罠と知りつつ、徐倫の面会に向かう。これまで家庭から距離をとっていた承太郎に、徐倫は反発する。そのとき、敵の襲撃が!

承太郎から託された「スタンドの矢」の一部が入ったペンダントで徐倫のスタンド「ストーンフリー」が発現し、なんとか敵を退けたかに思えたが、もうひとりの敵によって承太郎の記憶とスタンドが奪われてしまう。これにより、承太郎は意識不明に。

父を助けるため、徐倫は刑務所のなかでDIOの遺志を継ぐ真の敵を探す…。

 

主要キャラ

空条徐倫
スタンドは「ストーンフリー」。空条承太郎の娘。アメリカンギャル。15年の実刑判決を受け、グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所に収容される。ファイルーズさん曰く、徐倫を漢字一文字で表すと「愛」。

 

空条承太郎
スタンドは「スタープラチナ」。徐倫の父。徐倫の母と数年前に離婚して以降、徐倫にも会っていなかった。

 

エルメェス・コステロ
スタンドは「キッス」。すでに刑務所に入ったことがあり、徐倫をいろいろと気にかける。情に厚い姉貴。田村睦心さん曰く、「情」のひと。

 

エンポリオ・アルニーニョ
刑務所の"秘密の部屋"で暮らす子ども。刑務所内を自由に行き来し、徐倫を手助けする。

 

フー・ファイターズ
刑務所内で出会った囚人。無邪気で屈託なく見えるが、只者ではなさそう…。伊勢茉莉也さん曰く、漢字一文字で書くなら「知」のキャラ。

 

ウェザー・リポート
スタンドも「ウェザー・リポート」。記憶喪失の囚人。他人との距離感が近い(物理)。

 

ナルシソ・アナスイ
スタンドは「ダイバーダウン」。殺人の罪で服役中。

 

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ジョジョの奇妙な冒険第6部『ストーンオーシャン』の魅力

ジョジョシリーズ中でも、最も過酷な環境とも言えるストーンオーシャン。そんな6部の魅力はたっくさんあるんですけど、あえて挙げるなら『タフさ』と『愛』と『精神性』かなと思います。

ひとつずつ、詳しく紹介していきますね。

 

キャラがめっちゃタフ

徐倫をはじめ、6部のキャラは精神的タフさがすごいんです。

徐倫は最初、彼氏に裏切られたことでメソメソしてます。まあ、年相応の反応ですよね。それが、承太郎の愛情に気づいて戦うと決意したのをきっかけに、どんどん精神的に成長していきます。

 

そしてエルメェス姉貴は言わずもがな、というほど有名エピソードがあるので、もうご存知かもしれませんね。エルメェスが見せる精神力の強さからくる名言は、6部のなかでも屈指の人気です。

 

【!!がっつりネタバレ有り!!】
エルメェスの魅力について語ってるので、覚悟してきてるひと、「そこまでは読んだ」って方はぜひどうぞ↓

lookup-stars.hatenablog.com

 

 

6部で特に私がいいなと思うポイントは、「女子がマジにタフ」なとこ!

アニメPVを見てもらえればわかると思いますが、ファイちゃんが完全に殴ってる「オラァッ!!!」で最高です。


www.youtube.com

 

6部連載当時は、少年マンガで女の子主人公なものはなく、お色気要員か守られるヒロインポジションなことがほとんどでした。(少なくとも私の見ていたジャンプの範囲では)

そんななかで徐倫やエルメェスのような「拳で戦う女の子」という存在は、かなりの衝撃をもたらしました。拳を叩きつけるし、顔面殴られるし、血も流すし…こんなの有りなんだ、と。

それと同時に、とても嬉しかったんです。お色気でもない、守られるだけでもない、タフに戦う女の子がちゃんと存在することが、たまらなく嬉しかった

特にジョジョ女は、6部のタフな女子に心打たれると思います。期待しててください!

 

 

親子愛、友愛、恋愛…描かれる「愛」

6部で描かれる「愛」の最たるものといえば、やはり承太郎と徐倫の親子愛でしょう。

自らを取り巻く危険に巻き込まないようにと、承太郎は徐倫や妻から距離をとっていました。愛ゆえなのに何も言わないせいで、その心は彼女らには届きませんでした。徐倫も「父親に愛されていない」と思ってしまって当然です。

そんな承太郎が、徐倫のために刑務所にやってきて話をするシーンに二人の親子愛が表れています。

 

アニメイベントで、「親子感を強めに意識して作ってる」と監督も仰ってましたし、どう描かれるか期待が高まりますね!

 

イベ見逃した!って方はこちらをどうぞ↓


www.youtube.com

 

また、仲間たちとの友情も熱いです!

黒幕を探して様々な危機を乗り越えていくことになる徐倫たちですが、獄中での生活を重ねることで確かな絆ができていきます。そういう何気ない思い出が、何より大切だったりするんですよね…。

それぞれの人物に物語があり、群像劇的なところもあります。5部のブチャラティチームの過去回みたいな感じかな。みんな服役中なだけあって重たい話ばかりではありますが、アニメでどう演出されるかも見どころですね。

 

随所で垣間見える「精神性」

「精神性」というとちょっとお堅いですが、6部はシリーズ中でも荒木先生の考える「知性とは」や「運命とは」が色濃く描かれてると思います。
そういうメッセージ性が強いのも、6部の魅力。受け取ったメッセージを自分なりに解釈するのが捗る捗る…。

物語のメッセージ性をあれこれ考えるのが好きなひとにも6部はおすすめです!

 

ジョジョあるあるだと思うんですが、6部は特に終盤にかけてのエモさが神がかり的だと私は思ってます。そのエモさを作り出すのが精神性なんじゃあないかと思うのです。

正直納得いかない部分やわかりにくい描写、衝撃的な場面…いろいろあるとは思います。それでも、それらを上回る壮大さと尊さに心が震えるはずッ!

 

1部「ファントムブラッド」から連綿と続いてきたディオ(DIO)との因縁がどのような結末を迎えるか、ぜひその目で見届けてほしいです。

 

なお、6部「ストーンオーシャン」には、後半でKKKによる黒人差別の描写があります

批判的に描かれてはいるし、作中人物の過去および時代背景の説明として必要な描写だと思います。が、実在の事件・団体をモチーフに描かれているので辛い方はご注意を。

被害者の方々が少しでも平穏な日々を過ごされることを、心より願っております。

 

ジョジョ6部『ストーンオーシャン』見るならNetflixがおすすめ

公式からもお知らせがありましたが、6部アニメはNetflixが先行配信です。


2021.09.01追記

第二章が今日から配信されてます!

一気に13話〜24話が公開されます。

 

もちろん地上波放送でも見れるんですが、

  • ネタバレされるより速く見れる
  • 自分のタイミングで何度も見直せる
  • 字幕ついてる
  • 1〜5部アニメも追加料金なしで見れる

ので、断然Netflixで見るのがおすすめです。

 

料金プランは3つ。

「ベーシック(月額990円)」

ふつうに見たいだけならこれでOK。

 

「スタンダード(月額1490円)」

最大2画面で同時再生できる。HD視聴(ちょっと良い画質)も可。

 

「プレミアム(月額1980円)」

最大4画面で同時再生できる。高画質(4K)で見れる。

 

6部アニメが終わったら解約したいときは、「メンバーシップをキャンセルする」ボタンから手続きして解約できるので簡単ですよ。

Netflix (ネットフリックス) 日本 - 大好きな映画やドラマを楽しもう!

 

アプリをダウンロード→アドレス等の必要事項を入力で、すぐに動画を見れるようになります。配信作品数がものすごいので、登録した月の間は他作品を漁ってみてもいいかもですね。

 

興味が湧いたらぜひ原作の漫画も読んでみてほしいです!

「全巻揃えてたらスペースもお金もやばい」って方はアプリがおすすめ。

ジャンプ+なら3話無料(以降はポイント制)で読めます。

 

ヤンジャンアプリなら、1日ずつ貰えるポイント使って少しずつ読む形になりますが、全巻無料で読めます。
しかもこちらは、1部『ファントムブラッド』から8部『ジョジョリオン』まで無料です。

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アニメの進行を追いかける形で読むのも楽しいでしょうね!

 

 

またジョジョをリアタイ(しかも最推しの6部!)できるなんて、ほんとここまで生き抜いてきてよかった…

6部アニメは希望ッ!

 

みんなでジョジョ6部楽しみましょー!

 

to be continued

シン・エヴァネタバレ感想ー現実のなかで生きていく

タイトル通り、がっつりネタバレしながら取り留めもなく見た直後の感想を書いてます。

伏線回収とかはあまり掘らずに、「心の物語」としてみたエヴァへの、個人的な解釈だけです。あしからず。

 

 


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「シン・エヴァ」は、「まごころ」をはじめ全てのエヴァを補完する結末になった。全員がちゃんと救われるハッピーエンド。

 

新劇が始まってからずっと思っていた。「新劇も根本的なところではTV版や旧劇と同じことを言いたいんじゃないだろうか?」結末を見た今、やっぱりそうか、と実感している。(あくまで私の解釈上で、という意味)

私のなかで、「エヴァンゲリオン」という物語は、「現実を生きていくということ」をかなり強く訴えかけてくるものだと解釈している。それは鼓舞であり、決意であり、祈りでもあり…。

「セカイの〜」や「まごころ」を見たとき、「現実を生きていく力(世界や自分への希望)を、自分のなかに見出して選び取ってほしい」そういうメッセージを私はエヴァから受け取った。だから「おめでとうエンド」も「気持ち悪いエンド」も、すんなりと受け入れた。むしろ好意的にさえ見ているし、私自身の現実世界や他者に対するものの見方にかなり影響しているとも思う。

だから、というわけでもないけど、なんとなく、新劇の結末も現実へ繋がるのではと思っていた。そして実際、最後には宇部の景色のなかにシンジとマリが走り出していった。やっぱりそうだよね、と安堵のような納得感がある。

現実の世界に対して、希望の持てる終わりだった。

 

それぞれのキャラについて

挙げるとキリがないかもしれないけれど、思うままにそれぞれに対して思うことを書いてみる。

 

アスカ

個人的にMVPをあげたい。本当にここまでよくがんばってきたよね…。幸せにね。ケンスケも、頼むよ。

 


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シンジの世話をあれこれと焼いて、「メンタル弱すぎ」と吐き出したあたりで、もう好きだった気持ちにふんぎりがついたんだろうなと思う。だから「好きだった」と伝えられるようになったんだろうなって。

式波アスカは、シンジと離れてマリやケンスケと縁を深めていって、やっと本当に幸せになれたような気がする。シンジを前にすると、好きだけど、それと同じくらい自己投影してしまって自己嫌悪も募っていただろうから。

 

パペットちゃんのなかからケンスケが出てくる場面は象徴的だ。式波アスカを丸ごと受け入れてくれる存在は、これまではパペット(虚構)だったけど、これからはケンスケ(現実)なんだ、ということに泣けたよ…。式波も惣流(オリジナル)も、それをずっとずっと求めていたんだもんね。

アスカ救済の場面のなかに、「まごころ」で浜辺に打ち上げられた(惣流?)アスカも出てきたけど、それがすべてのアスカを救ったという描写なんだと思ってる。

これでやっとすべてのアスカが報われたよね。本当によかった。

 

これは余談だけど、ケンスケのメンタルケアのレベルが高くて驚いた。「生きててくれて嬉しいよ」とか「ここにいてもいいんだぞ」とか「心配しすぎはお互い良くない」とか、距離感が抜群に良い。あれだけ懐の深いケンスケならアスカが懐くのも当然だよなあとも思った。

たぶんあの抜群の距離感は、アスカと過ごしてきたなかで身につけたものでもあるんだろうな。めっちゃいいやつになったね、ケンスケ。

ふたりで幸せにね…!

 

ミドリとサクラ

「ふつうのひと」としての彼女たちの存在は、より現実を意識させる。

大災厄を経て多くを失い、一方でそれによって救われた部分もあり、その元凶の人物が目の前にいたら、そして再び同じことをしようとしていたら、当然ああすると思う。

 

シンジやミサトたちにとっては目を見て頷けば察せられても、「ふつうのひと」にとってはそうではない。世界を変えてしまう選択をするなら、「ふつうのひと」からのああした声を受け止めなくてはならないだろう。カタルシスと引き換えに、そういう「ふつうのひと」への責任を負う覚悟があってこそ、セカイ系の物語は成り立つと思う。

 

結果シンジは初号機に乗る決断をしたわけだが、「明日生きることだけを考えよ」と言ったミドリと泣き崩れるサクラの間に漂う諦観と葛藤を、現実を生きていく私は覚えておかなくてはなと改めて思った。誰かにそういう思いをさせるかもしれないし、私がそういう立場になるかもしれないのだから。

 

ミサト

母親になっていたのはちょっと驚いた。でも、やっぱりミサトさんはミサトさんだったね。

「:破」から「:Q」で態度が一変してるように見えていたけれど、「子どもに責任を負わせたくない」「大人として責任を負わなくては」という意志によるものだとちゃんと説明されてて安心した。「行きなさい!→何もしないで」がイジられがちだけど、それもなくなるといいな…。

 

シンジを庇って「私が責任を取るということです」って背筋を伸ばして、顔を上げて言ったその晴れやかな表情、ミサトさんも大人になったんだなと感じた。

TV版~旧劇のミサトさんは、彼女自身が言うように、母親(シンジにとっての守ってくれる大人)にはなれなかった。ミサトさん自身の孤独と病みを癒せないまま、自分の弱さを受け入れられていなかった。だから、あのときは大人になろうともがいているところだったと思う。
そのミサトさんが、心身ともに大人になっていて、本当にかっこよかった。


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加持さんと同じように、後に続く者に託して自分との決着をつけられたのもよかったよね。ミサトさんはずっとそうしたかっただろうから。息子のリョウジを思っての最期の言葉、すごくあたたかくてうるっときた。

大丈夫よミサトさん、あなたは十分やってきた。迷ったり失敗したりして、その分だけ成長してきたミサトさんの大人の姿、みんな受け継いでいくよ、きっと。

 

レイとカヲル

今作は旧劇の結末を補完したと冒頭で言ったが、そのひとつはレイとカヲルの救済だと思う。旧劇ではシンジを導いてくれたけれど、彼ら自身の救済には至らなかったから。

 

レイと別レイ(黒波)、どちらもよかった。特に黒波は「初期ロット、器」としてではなく「綾波」としてかけがえのない経験をして逝けた。ヒトとしての営みをより深く味わえた点では、レイにもない経験だっただろう。

 


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レイに関しても、はじめ「私は残る」と言っていたのが彼女らしい。エヴァを象徴する一人だから、離れがたかったのかな。
エヴァのない世界では 、レイは存在しないかもしれない。それでも、安心したような笑顔を見せたのは、生きていくことの苦しみと喜びの両方を知れたからなのかな。あの笑顔が、エヴァのいない「現実」への信頼のように思えた。

 

ずっと導き手を演じていたカヲルも、本当の自分の望みに気づけてよかった。


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ずっとずっと、シンジのためにいくつもの世界を巡ってきたカヲル。私のなかでは、ループしてるというより、世界線から別の世界線へひとり渡り歩いてきてるイメージ。
時に甘やかし、時に厳しい現実を突きつけ、シンジのために身も心も砕いてきた。

そんな彼が「シンジを幸せにすることで、自分が幸せになりたかった」という自己投影的な他者依存を自覚し、現実での幸せを探しにいく…。

誰よりも「シンジくんのため」と強調してきた存在が、円環の外に「自分の幸せのため」の道を選んだということ自体に、すごく希望を感じる。

 

シンジ

旧劇よりも大人になっていくところが丁寧に描かれていて、もう…うまく言葉にできないけれど、じんわりとあたたかい気持ちに包まれてる。

 

アスカや黒波、トウジやケンスケと現実世界で過ごすなかで、少しずつメンタルが回復していく…その過程で「大人」になっていくのを感じた。心象世界(イマジナリー)ではなく、現実でこそひとは成長する。そんな当たり前に、何度も気付かされる。

だから、あの第三村での描写はシンエヴァにおいて必ず入れなくてはならないシーンだったんだろうと思う。

 


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そうやって大人になれたからこそ、今作のイマジナリー世界では、自身も含めた皆の心を紐解く導き手になった。アスカやレイやカヲル、そしてゲンドウを送り出す側になっていた。そういう彼なら、全てのエヴァに別れを告げて、「エヴァのない世界」を選ぶのも必然。

旧劇でも「他者のいる現実」という世界(カヲル曰く「相互的世界」)を選んだけれど、今作の「エヴァのない現実」という選択は、さらに私たちの現実に寄ったものになった。

 

マリという存在

アスカとケンスケもそうだが、「なぜ急にシンジとマリが?」という声もある。私たちの現実世界では伏線やご都合展開もなく、些細なことで縁が繋がる。思ってもみなかったひとと人生をともにすることだってふつうにある。シンジたちも、そういう世界で生きていく。その表れが、最後のマリとの描写かな、と私は思った。

 

「マリ=モヨコ先生説」もよく唱えられている。そういう面も確かにあると私も思うが、それは庵野秀明という作家への解釈を深めるものであって、エヴァを理解・解釈するのとは別のアプローチだと感じる。

 

チョーカーをマリが外したのも、シンジや庵野監督自身がエヴァという呪縛や自己矛盾から解放される形になった。

旧劇も補完した、美しい結末だ。

 

ただ、ひとつだけ残念に感じたこともある。マリとの戯れで、「胸の大きなお姉さん」と言っていたことだ。マリが自分のことをそう言ったのも、ノイズに感じてしまった。

エロスを全て嫌悪してるわけではない。アスカの全裸やプラグスーツが破れてる様には作劇上の意味があって、絵的にもストーリーと調和していたと思う。けれど、マリとシンジのそれは、悪い意味で「あの頃のノリ」的な苦味だと感じた。

ストーリー全体が良かったぶん、私にとってはそうしたノイズが残念だった。

 

ゲンドウ

旧劇の補完、で言うと最も補完されたのがゲンドウの心象だろう。やっとユイさんと一緒に逝けてよかったね。

まさかまさかの説教電車で、さらに息子にど正論かまされるとは。でも世界に対しての行いを考えれば、まあそのくらいは、ね。

 

幼少期から青年期、ユイを失いここに至るまでがシリーズ内で最も丁寧に詳しく描かれた。初めからひとりである孤独より、幸せを見つけ失ってからの孤独のほうが堪え難いのはよくわかる。だから余計に、シンジと向き合うのが怖かったのかもな。

やっとシンジを抱き締めたところは、特にじんときた。旧劇でもユイに「あの子(シンジ)が怖いのね」と言われて「俺がそばにいても傷つけるだけだ」と答え、最期は「すまなかったな、シンジ」と言っていた。ユイに会いたいという願いも本当だけど、恐れを超えてシンジにこそ愛を伝えたかったというのが本当の願いだったんだろう。

ユイを抱き締めて迎えた最期。13号機の対の腕は、ユイへの愛と自らへの罰のためにあったのだと思う。世界にしたことの責任を取らなくてはならないから。たぶん、最初からそのつもりだった。

 

ゲンドウは庵野監督自身が最も色濃く投影された存在のひとりだと勝手に思っているから、こういう形で心の決着がついて、本当に良かったなと感じてる。

これで庵野監督も、エヴァの呪縛からやっと解き放たれるんじゃないだろうか。

 

シン・エヴァが描く「現実」

旧劇もシンも、やり方は違えど、「現実」をかなり重要なテーマとして描いている。シンジが作中世界での現実を選び、観ている我々にも現実に向かうよう時間をかけて背中を押してくれていると思う。

それぞれを詳しく振り返ってみよう。

 

作中世界の「現実」

今作では、所謂アニメの「日常」とは違う、現実の(リアルな)日常が描かれた。まさかエヴァにおいて田植えを見ることになるなんて、誰が予想しただろう。シンエヴァで描かれた日常は、土のにおいがする現実だった。

あの第三村の日常に、シンエヴァの大切なことがたくさん詰まっているように思う。

 


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かつてラピュタでシータは「ひとは土を離れては生きられない」と言った。第三村での暮らしが前時代的だったことも、同じ理由だろうと思う。

宮崎駿監督も当時は言われたことだが、これは別に庵野秀明監督がエコロジストだということではない。生活を自らの手で為していくことや、他人との相互の関わりのある世界を愛してるから、ああいう生活を描くんじゃないだろうか。

だから加持さんも、あの高度な科学に覆われていた第三新東京市でスイカを作っていたんだと思う。

 

黒波やシンジへの感想でも述べたが、パイロット3人が第三村という現実のなかで回復・成長していくことは、シンエヴァという作品の要だ。

結論は旧劇とほとんど同じでも、この村での日常で「他人と現実で生きていく」ことの意味が補完されたと思う。

 

メタ的な「現実」

シリーズを通して描かれている心象世界(イマジナリー)は、観客としての我々を現実へと向かわせるものでもあると、私は解釈している。

 

TV版の「おめでとうエンド」においても、台本が映し出されたりシンジが撮影スタジオのようなところに座っていたりしたが、今作ではそうした描写がよりはっきりと描かれた。マイナス宇宙内の表現は特にそれが顕著だ。
背景の幕、板。撮影スタジオの天井、ライト、カメラ、シャッター。絵コンテ。どれも「『エヴァンゲリオン』は作られた世界」であることを如実に意識させてくる。

これらが示すのは、「まごころ」で言うところの「夢は現実のつづき、現実は夢の終わり」。つまり、ある種の「現実の埋め合わせ」を終えて、現実へと目を向けるよう促している、ということではないか。
その点では、シンもTVシリーズも旧劇も、言いたいことは同じだと私は思う。

 

TV~旧劇では、「現実は厳しく、他人と生きるとは傷つくことである」という意識がメッセージの根底にあるように見えた。当時の制作陣に向けられた言葉の数々を思えば、そういう世界観が作品にも影響していたとしても不思議ではない。それでも他人と現実を生きていく、という選択を尊いものだと今でも思う。


シンでの現実のイメージは、もう少し優しくあたたかいものに変わった印象がある。それはやっぱり、第三村の描写があるからこそ見えてくる変化だ。その変化も嬉しく思うし、旧劇と同じくらいシン・エヴァを好きだなと思う。

 

エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)という作品の結論はともに「現実へ帰れ」ではあるだろう。けれど、シンはあたたかく背を押すような、しっかりと手を握って駆け出すような、そんな伝え方になっているように感じた。

 

「エヴァ」は心の物語

「シン・エヴァ」の結末から、やっぱり「現実のなかで生きていくんだ」というメッセージを私は受け取った。それ自体は旧劇と同じだけれど、より丁寧に描かれたそれを、今このときに受け取れてよかった。

旧劇を補完して、みんなが幸せになる世界を見られて、心から嬉しく思う。

 

私のなかで、「エヴァンゲリオン」という物語は、アニメで表現された文学作品、庵野監督の私小説だと思っている。

エヴァのキャラはそれぞれ見た目も性別も年齢も違うけれど、きっとみんな庵野監督のなかにある性格。キャラたちの対話は、庵野監督自身の心の確認作業。今作でみんなが対話を通して救われていったのは、エヴァ(虚構)と現実の両方を愛するが故に苦しんだ監督自身の自己矛盾の解消にもなったと思う。

世界と人間を愛する庵野秀明監督らしい結末だ。

 

心(魂)の輪郭を確かめるようなこの物語に、どうしても私は惹かれる。私も確かめたいのだ。鎧や仮面を剥いだ、本当の自分の心の形を。そこに希望が残っている、ということを。

 

 

生きているうちにこういう作品に出会えて、その終わりを見届けられて、本当に本当によかった。

これでよかったんだ。エヴァンゲリオンという物語の最後に辿り着いた結末が、「エヴァが存在しない現実」で。

 

ありがとう。さよなら。

この現実を、他人と生きていくよ。

ありがとう。

 

【ジョジョ第6部】エルメェスの「復讐論」

みんな大好きエルメェス・コステロ。彼女の「復讐」のエピソードはあまりにも有名で、その姿に心が震えたジョジョラーも多いはず。

彼女の心と私自身の考えたこと感じたことを残しておきたくて、これを書きました。

 

※アニメの内容を含みます

なお、記事内で使用している画像は、私の文章(主)に対し、従として引用しているものです。

 

 

エルメェスの代名詞とも言えるのが、復讐についてのセリフ。ここにエルメェスのかっこよさが表れていると思います。

 

 

「復讐とは自分の運命にケジメをつけるためにあるッ!」

エルメェスは、殺された姉グロリアの復讐をするために自ら刑務所に入ってきます。惨たらしくグロリアを貶めた犯人を必ず見つけてやる、と。

そしてついに犯人と対峙…。呼び止めようとする徐倫に、エルメェスはこのように話始めます。

エルメェス「あたしはその覚悟をしてきた‼」

『ジョジョの奇妙な冒険part6 ストーンオーシャン』「愛と復讐のキッスその⑥」より引用

犯人を倒してもグロリアは帰ってこない。エルメェス のしたことをグロリアが知ったら、喜びはしないし悲しむだろう。復讐をすることで犯人と同じことをしたことになってしまう。エルメェス 自身も罪を背負うことになる。

そういうことを一切覚悟してきてるんですよ、エルメェスは。

これから先ずっと悲しみと怒りを抱えて生きていくなんてまっぴらだ、そのための罪を背負う覚悟はしているのだと。

  

復讐は自分の運命へのケジメ。エルメェスのその言葉に、徐倫はもう引き留めることはしません。そして仇に何度も何度も拳を叩き込むエルメェス。

全てが終わった頃、エルメェスの目から涙が溢れて…。

 

心優しいエルメェスが、復讐を選ぶまでに一体どれだけ苦悩して自問自答してきたことか。その上で覚悟をしたら迷わない強さ。彼女の心の内を思うと、安易な言葉は失礼だと感じます。

そして終えた後の涙とあのセリフ…。
先程までの鬼気迫る表情から一変、等身大のエルメェスに戻った姿に心が締めつけられます。

あの涙は、決して復讐への後悔などではないでしょう。
憎悪の果ての安堵、虚無、自らの罪への自覚、孤独、言い尽くせぬ悲しみ…そういうものが溢れ出てきたんじゃあないかと思います。

 

エルメェスのエピソードで一番好きな回です。

 

2022.09.02追記

アニメではスポーツ・マックスを倒した後、グロリアの魂がエルメェスをそっと抱きしめて去っていくシーンが追加されてましたね。

「復讐は自分のため」という考え方からすると、ここでグロリアが現れる必要はないかなとも思うのですが、グロリアからすればハグせずにはいられないだろうな…とも思います。ひとりで決着をつけたエルメェスに、せめて少しの救いをあげたい。そんなスタッフさん方の気持ちを感じました。

 

復讐を止めるのは本当に正義か?

ここからは、私なりの解釈をお話ししていきます。

 

あるある展開ですが、復讐に心を燃やす人間に対して、主人公が熱い言葉で止めるシーンがありますよね。

「そんなことをしても、あの子は喜ばない!」

「復讐なんて考えずに幸せに生きることが、自分とあの子のためになる」

「憎しみの連鎖は止めなきゃいけないんだ!」

ってな感じで。

 

私は個人的にはこういうセリフ、正直苦手です。復讐を止める側の言葉を、頭では理解できても全然納得できないし、こういう言葉を放つ気持ちに共感できない。

恨みを捨てて復讐はしない、という選択は自分の怒りをちゃんと消化できてこそだと思うのです。なのに、そういう言葉で怒りすらも封じる形になってしまうように思えて…。

自分にとって本当に大切なものを踏みつけられて、こういうことを言われても、その怒りと悲しみの行き場がないじゃあないですか。

 

自分が復讐者の場合でも、復讐しようとしてる人を目の当たりにした場合も、こういうセリフは全く心に届かないんじゃあないかな。

 

 

 

恨みという名の怒りと悲しみを抱えるひとは、忘れようなんてことは真っ先にやってるんですよね、既に。その上でどうしても忘れられないし、とても許すことはできない。そういう気持ちをちゃんと表に出すことでようやく、許せなくても受け入れていくしかないと、なんとか折り合いをつけていく…。傷つけられたほうは、長い長い時間をかけて寛解できるかどうか、というレベルなんですよね。

「復讐なんてやめろ」っていうのは、そういう苦しみに全く共感しない言葉に思えてしまうんです。だから、エルメェスの言う「決着をつけるため」の復讐は、怒りや悲しみをちゃんとわかってくれてるひとの言葉だなと感じます。

 

もちろん、この法治国家において、現実の人間に対する暴力は決して許されるものではありません。どんな人物であっても法の裁きを受けるべきで、私刑を許せば社会はどんどん転がり落ちていく。それは歴史が既に証明するところです。

今お話ししている解釈は、あくまで物語上の展開と内心に留まる範囲の心情についてのものであることを強調しておきます。

 

ジョンガリ・Aの復讐

敵であるジョンガリですが、彼もエルメェスと似た「復讐者」なんですよね。

 

おまえらの血統にとどめを刺すを刺す時
オレの人生はやっと始まるッ!
我が「心」の支えを奪った復讐には
決着をつけなくてはならないッ!!

(第6部ストーンオーシャン16話「面会人その④」より引用)

アニメだとこのシーンがなおさら印象的で、「愛と復讐のキッス」への布石になってるなあと感じました。

 

これ、エルメェスの言う「自分の運命にケジメをつける」と同じことじゃあないかなって私は思うんですよ。
「DIO様のため」ではなく、「我が『心』の支えを奪った復讐」。自分の気持ちに決着をつけるための復讐なのはエルメェスと同じ。私はエルメェスの復讐論に共感しているので、彼のこの言い分にもわかる部分が多いですし、徐倫はともかく承太郎は彼の復讐を受け止めてしかるべきだろうとも思っています。

「敵の生き方をも肯定して描く」というジョジョ全体のポリシーが出ているセリフに感じました。

また、6部のこういうセリフに、キャラたちの人格に加えて荒木先生自身の思想が強く出ているようにも感じます。これに関しては賛否あるでしょうが、私は好きですね。

 

ポルナレフとの比較

エルメェスと同じような立ち位置のキャラとして、3部のポルナレフが挙げられると思います。明るく優しい仲間であり、そして復讐を胸に秘めている…エルメェスとポルナレフはよく似ていますよね。

ふたりの復讐も、やはり共通するところが多いです。

大切なひとを想っての復讐であること、悲しみと怒りを忘れられなかったこと、返り討ちのリスクを冒してでも自ら手を下すこと、復讐を見届けてくれるひとがいること…。

 

ポルナレフの復讐論を決定付けるのは、やはりこのセリフでしょう。

我が名はJ.P.ポルナレフ。

我が妹の魂の名誉のために!

我が友アヴドゥルの心の安らぎのために…

エルメェスより「大切なひとのため」という姿勢が前面に出ているように感じます。これは、3部自体が1部から続く"神話"であることにも起因するのかもしれません。人間の聖なる部分が強調されているという感じ。

 

復讐を思い立った瞬間こそ、「あのひとのため」と思うでしょうが、本当のところは復讐は自分のエゴでしかないです。大切なあのひとの喜びも悲しみも、残された側には知ることはできないのだから。完全に自分のためです。

ポルナレフの気高さが表れている復讐にまつわる言葉は、もちろん心打たれるもの。その上で、「復讐は自分の運命にケジメをつけるためにある」というエルメェスのセリフは、自分のためだと理解した上で至った答えとして、私にとってすごく共感するものがありました。

 

少しだけ自分語りをすると…

この復讐回が特に泣けるのは、私のなかの「暴力により殺された自分」が癒やされる部分があるからです。
グロリアと私の違いはただ単に運が良かったというだけで、暴力を受けたあのときに身体も死んでいてもおかしくありませんでした。そして、心の一部はあのとき確実に死にました。

エルメェスの復讐はグロリアのためでもないし、まして私のような現実の被害者のためでもない。それはわかっています。それでも、刑罰も軽く被害届すら受理されないこともある現実の世界を生きていくしかない私にとって、エルメェスの「グロリアの分だ」には救われるものがあるのです。

復讐してほしい、とまでは思いませんが、あのとき受けた屈辱と恐怖を、二度ともとの自分には戻れない怒りと悲しみをなかったことにせずに、いっしょに怒ってくれるという存在がどれほど心の傷を癒やすか…エルメェスにそんなつもりはなくとも、「ありがとう」と思わずにはいられません。アニメでのグロリアも、きっとそういう気持ちでハグしていったんじゃあないでしょうか。

そういうフィルターを通して読んでいるので、特にこの復讐回には思い入れがあります。

 

 復讐という道を選んだひとに私たちができることは、見守り抱きしめ、その行末を見届けるくらいしかないのかもしれない。
逆に自分が復讐を選んだとき、徐倫のように復讐を見届けて抱きしめてくれるひとさえいれば、罪を償ったあとにまた歩き出せるかもしれない。

そういう悲しさと希望を、エルメェスの復讐から感じました。

 

 

こういう人生観や死生観が特に色濃く描かれているエピソードが多いのが6部の醍醐味だと私は思っています。
今回の記事でお話ししたのは、あくまでも私の目から見た私の感じ方にすぎません。ぜひ原作をご覧になって、自分の『ストーンオーシャン』を感じてください。

 

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www.prisoner-lookinstars.com

 



to be continued➵